水の神を祀る貴船神社が、今、森を再生する
1000年の祈りを、次の100年につなぐ
“貴船の杜の再生活動”<前編>
京都の北に、山あいをぬうように続く貴船の道がある。
夏には川床が立ち並び、涼を求める人でにぎわい、冬には雪が静かに境内を包みこむ。古くは平安の頃から、人は祈りを胸にこの道をのぼった。
京都市内から叡山電鉄に乗り、バスを乗り継いでおよそ1時間半。「貴船口」で降り立つと、ふわっと山の匂いを感じ、川のせせらぎが聞こえ始める。貴船に立つと、どこからでも水の音に包まれるようだ。鞍馬山と貴船山の間を流れる貴船川。その川のほとりに、三社に分かれて水の神を祀るのが貴船神社だ。

鴨川の水源の地として、古くから人々の信仰を集めてきたこの場所では、今も変わらず、祈りを捧げる人々の姿がある。
今回、お話を伺ったのは、貴船神社の宮司 高井大輔さん。千数百年にわたり、水の神を祀り続ける土地を訪れ、改めて今、悠久に流れ続ける水と人の関係を思う。

水は命の恵みであり、怖いものでもある
感謝と恐れに手を合わせるのが神社の根源

この日、柔らかな日差しに包まれるなか、境内では伊勢神宮への奉祝行事「神嘗祭(かんなめさい)」が執り行われ、神前で清らかな空気のなか、雅楽や舞とともに収穫を感謝する祈りが捧げられていた。
厳かな空気に包まれたお祭りのあと、境内でお会いした高井さんは気さくな笑顔で迎えてくださり、「せっかくなので、奥宮でお話をしましょうか」と、貴船神社の三社(本宮・結宮・奥宮)のもっとも奥にある、奥宮へ案内してくれた。

「この奥宮が、貴船神社の始まりの場所と言われています」
先ほど多くの観光客を集めていた本宮とは違って、山の静けさのなかに広場のような開けた空間があり、本殿が建つ。

奥宮の門
「奥宮」の本殿。「龍穴」の上に建てられ、今もその下には龍穴があるという「貴船神社がいつ頃創建されたかはさだかではないのですが、一番古い記録には、1300年前、天武天皇白鳳六年に本殿の建て替えが行われたという記述が残されています。ですから、それ以前にはすでに貴船神社があったということ。極めて古い神社であるということは確かですね。笑」
貴船神社の起源は、伝説によると、約1600年前、日本が国としてのかたちをつくり始めたころにさかのぼる。神武天皇の母・玉依姫命(たまよりひめ)が、難波津(現・大阪湾)から水源を探し求め、淀川、鴨川、そして貴船川をのぼり、この地にたどり着いたという。そして、今も奥宮の本殿の下にある龍穴を水源の地と定め、「祠を造るべし」と告げ、祠を築いたのが始まりと伝わる。
その後、平安時代になって、都が京都に移されてからは都の水源地として重要視され、嵯峨天皇の時代だけでも、勅使を遣わせお参りしたのが数百度という記述が残る。
―それはやはり、雨乞いに国からの使いが来られていたというわけですね。
「当時は、稲作が人々の命を支える最も重要な営みでした。雨が降らずに日照りが続けば、命に関わる。日照りが続くときには雨乞いの祈願をし、雨が多いときには晴天祈願をする。そうした祈願には、生き馬をお供えしたと伝えられています。日照りのときは黒馬を、雨が続く時には白馬を奉納する。
今でも京都中心地からここまで1時間弱ほどかかりますが、当時は舗装もされていない山道を越えてくるのは、大変なことだったと思います。それも、嵯峨天皇一代で数百度と言われるほどですから、年に一度ではなく、何度も。それだけ、水は人の命に直結するものだったんですね。やがて、生き馬をお供えするのは大変ということになり、板に馬の絵を描いて『板立馬』を奉納するようになり、時代とともに個人の願いを書く『絵馬』へと変化していきました。今、全国の神社である“絵馬”は貴船神社が発祥と言われています」


続けて、高井宮司は、「水は命の恵みであると同時に、怖い存在でもある」と語る。
「たとえば、津波や台風などの自然災害で、多くの人が水の恐ろしさを感じる一方で、そのすぐ後には給水車が来て、ありがたいと思われますね。少し前までは恐ろしかったものが、ありがたいものに変わる。ですから、水というのは、ただ命の恵みだけではなく、恐れ、敬い、感謝がそろって本来の姿をなすものだと思います。そうした思いを伝える場所として、神社があるのではないでしょうか」


自然の力に対して、畏怖と感謝をもって祈る。見えないものに抱く“怖い”という思いから、お祀りし、手を合わせる。それが神社の根源ではないか、と高井宮司は続ける。
「神社というのは、自分自身の誓いを立てるとか、感謝を伝える場所であると思うんですよね。今の方々はよく、『今日は何をお願いしよう』と来られますが、自分が努力してきた先に神頼みはあるかと思うんです。『ああなりたいな』『こうなりたいな』、と願うだけで、神様は本当に応えてくれるものなのだろうか。と、そんなふうに思いますね。笑
何か、見えないものを感じ、手を合わせる場所。神社は、誰にでも門を開いていて、とてもオープンな場所なんです。気持ちが揺らいでいる時に来られても、私たち神主が手を差し伸べることもないですし、教えを説くわけでもない。
多くの方が、それぞれの感じ方で手を合わせる。それでいいと思います。“こうあるべき”と定めないのが神社で、神様は決してひとつではなく、八百万の神というように、あらゆるもののなかに神が宿るというのが、神道の考え方ですね」
神社もまた、その土地ごとに異なる顔を持つ。都心であれば、ビジネスマンが昼休みに立ち寄ったり、企業の成功祈願に訪れる。都市の暮らしのなかにある神社と、貴船のように、この景色も含めて、わざわざ訪れたいと思わなければ来れない場所では大きく違い、神社は場所によってその役割が多様である。

「貴船神社は鞍馬山と貴船山に挟まれた谷底にあり、すぐそばを貴船川が流れる。自然の気配が残るこの地に立つと、心が洗われるような清々しさを感じるのは、神様のお力もあるのかと思いますが、この環境そのものが人の心を清めるのだと思います。神道では、神様の姿は見えません。でも、清々しい気持ちになった、心が晴れた、そう感じることこそ、神の存在を感じる瞬間だと思うんです。逆に、良くないことをしたときに叱られているように感じるのも、神の働きかもしれません。
貴船神社は水の神様を祀る神社であり、水はあらゆる環境に変化していくもの。感謝でもあり、恐れでもある。古代から人が感じてきた自然への敬いを、今に伝える場所でもあると感じます」
水の神様は、縁結びの信仰へ
気生根(きふね)は、昔のパワースポット?
古代から変わらず水への祈りが受け継がれるなかで、貴船神社は“縁結びの神様”としても全国で名高い。水の神様が、いつから“縁結びの神様”になったのだろう。


―ところで、水の神様でありながら、どう縁結びにつながるのでしょうか?
「これは貴船神社の名前のもう一つの由来に関係しています。今は、“貴い”に“船”と書いて“貴船”という字が使われていますが、これは、先ほどお話したように、神武天皇のお母様が“黄色い船”に乗ってこの地に来たという伝説に由来するもの。
かつては、“気力が生じる根源の地”という意味で“気生根(きふね)”と称されていた時代がありました。“気”が生まれ、よみがえる場所。つまり、ここで祈ることで気力が満ち、運が開ける。そこから“心願成就”や“運気隆昌”の神として信仰が広がっていったのです」
古くから伝わる “丑の刻参り”も、本来はもっと明るく、神聖な祈りのかたちだったと高井宮司は続ける。
「丑の刻参りという風習は、神様である貴船大神がこの貴船山に降臨されたのが、丑の年・丑の月・丑の日・丑の刻であったことに由来します。その時間帯にお参りをすると、願いがより叶いやすい。そう信じられて、平安時代から室町時代にかけて広まりました。平安の歌人・和泉式部もその一人です。夫の心が離れたことを嘆き、再縁を願ってこの貴船を訪れ、名句を詠んでいます。
『物思へば 沢の蛍も わが身より あくがれいづる 魂かとぞ見る』
蛍が行き交う光を見て、自分の思い悩んでいるものが飛んでいくようだ—そう詠んだ歌です。その願いが叶い、和泉式部は夫と復縁したと伝わっています。この出来事をきっかけに、貴船神社は“縁結びの神”として人々の信仰を集めるようになりました」


奥宮の手前にある「思ひ川」。その語源は、「御物忌川」とされ、かつて奥宮に参る際には、この川で身を清めたと伝えられる
そして、それは縁結びにとどまらず、あらゆるお願いを聞いてもらえる神社として、時代を超えて信仰を広げていった。
「江戸時代には、三代将軍・徳川家光公の母・春日局(かすがのつぼね)がここに参拝され、将軍の病気平癒を祈願しに来たと伝えられています。それはやはり、“気力生じる根源の地”として、ここで祈れば気力がよみがえると信じられていたからでしょうね」

樹齢約1000年以上といわれる「相生の杉」。参道は木々に囲まれ、自然のさまざまな姿を見ることができる
「近年では、参拝者の方に、『パワースポットはどこですか?』と聞かれることも多いのですが、“どこ”ということはないのだと思います。『緑や木々、流れる水、この場所、環境のすべてがパワースポットなんですよ』というのをお伝えしていますね。“気力の生じる根源の地”という言葉は、ある意味“パワースポット”の語源なのかもしれません。半分冗談のように言っていますが、半分は本気でそう思っています。笑」

平安時代から今に至るまで、人々を集めるパワースポット。それは、神社を取り巻く自然の環境が生み出してきた。



都の水源地として、雨を願い、晴れを祈り、水の恵みと人々をつなぐ存在として歩んできたその歴史は、長い年月のなかで、祈りのかたちを変えながらも、自然と人との関わりを受け継いできた。
そして今、その神社を包む自然そのものの環境を守り、次の世代へつなぐために、貴船神社が新たに取り組んでいるのが、『貴船の杜の再生活動』だ。
「ここで昔の人たちが感じてきた“力”を、今の人にも感じてもらう。神社に来て何かを感じ、自然と手を合わせたくなる、そうした場所を守りつづけるためにも、貴船の山、そして森という環境と、しっかりと向き合わなければいけないと感じています」

後編では、なぜこの活動が始まったのか、どのようにして山と向き合っているのか。その背景と想いを、高井宮司に伺う。

高井大輔 貴船神社宮司
大阪の建築設計事務所にて7年間勤務。時代の経済の波により、建物が壊されていく様子を見て、「この先の時代に残して「この先の時代に残していける建築を守りたい」という思いが芽生える。父が神職であったことをきっかけに、建築の延長線上に“神社という建築と祈りの場を守る”という仕事を見出し、神道の道へ。國學院大学で神職資格を取得後、各地の神社での奉職を経て、父の跡を継ぐかたちで貴船神社の宮司に就く。
Photo haruka kuwana
Texit/Edit Michiko Sato