料理研究家・内山ゆきが語る、水と食の物語<br>食と空間からひも解く、人と水の“美味しい”関係 <後編>

料理研究家・内山ゆきが語る、水と食の物語
食と空間からひも解く、人と水の“美味しい”関係 <後編>

料理研究家であり、食と空間のプロデュースを手がける内山ゆきさんが主宰する「iRo」はレストランであると同時に、調味料を探求する“ラボ”のような場所でもある。レストランがオープンするのは週にわずか2日ほど。看板もない。大きな宣伝もしない。まさに「知る人ぞ知る」存在だ。訪れた人は、心を満たされ、潤いを得たように帰っていく。
前編では、食材や料理からひも解く“水と食”の関係を伺った。後編は、食の先にある空間へ。内山さんが大切にする、“水場”をめぐる話。<前編>も読む。

食材も、器も、人も仲良くさせたい。
内山さんがお店を開くまで

25歳のころ、友人に頼まれて料理教室を始めると、口コミで広がっていった。やがてインテリアショップの企画にも声がかかるようになり、食の世界から器、そして空間へと仕事の幅は自然に広がっていった。
「当時はインターネットのまだない時代。高級なクリスタルと言えば“バカラ”くらいしか知られていませんでした。でも実際には世界にはいろいろな器や文化があって、グラスにしてもどこの国のものが良いのか、私は他の人よりちょっと知っていた。祖母から教わったことや旅の経験が自然と役に立ったんです」

そうして経験を重ねるうちに、いつかは自分のお店を持ちたいと思うようになった。「50歳くらいになったら」と心に描いていた夢は、ちょうど50歳を迎えた3年前に実現する。目指したのは、誰かの家庭料理のように親しみを感じられる料理を届けられる場所だった。
「iRo」にある家具や器も、祖父母の代から受け継いできたものや、旅先で集めてきたものばかり。小さい頃から慣れ親しんできたものたちを連れて、この場所に“お引越し”してきた。


内山さんの後ろにあるのは、祖母が使っていた江戸時代頃のお重。


旅から持ち帰ったアンティークの器も、すべて内山さんが「好き」と思うもの

「ここにきてくれる人たちが、モノと人、そして人と人も仲良くなってもらえたら良いなと思っています。どこの国のものでも、どんな時代のものでも、自分が好きだと感じられるものだけに囲まれていたい。そういう場所を心地よく感じてもらったり、喜んでもらえたら嬉しいんです。私の料理を食べてもらいたいという気持ちは、もしかしたらほんの3割くらいかもしれない。残りの3割は『ここでほっとしてほしい』、そして最後の4割は、『ここで出会った人同士が仲良くなったら良いな』と思っています」

「たとえば、ここも変じゃない?」と、内山さんはテーブルの下に並んだ瓶の列を指し、いたずらっ子のような笑みを浮かべた。
「梅酢の横に花瓶があるなんておかしいでしょう。でも、こうして置いておくと、いつの間にか馴染んでいく。きっと、みんな仲良くなれるんじゃないかなと思って」

漬け込まれた瓶も花瓶の、ただのモノではなく、生きているもののように扱われる。そう言われて見ると、空間に置かれるすべてのものが、優しさに包まれている気がした。

東京で感じる、
水の景色の美しさ

食の仕事から、空間づくりにまで活動を広げる内山さん。日々の暮らしのなかで、“水場”をどのように感じているのだろう。

「建築や空間では、水場を設けることがよくあります。生活に欠かせない場所であるのはもちろん、ホテルのラウンジや建築のエントランス、公園や広場といった屋外の空間でも、水場には人が集まり、自然と憩いの場になっていきます。山へ向かう高速道路でふとダムを見かけただけでも、『わぁ』となるでしょう。少し水を見るだけで安心するのは、自然界での動物たちと同じ感覚で、私たちが生きものだからなんだと思います」

旅で出会った内山さんの印象的な景色はあるかと尋ねると、返ってきたのは意外にも東京の身近な風景だった。

「旅の景色というわけではないのですが、一番好きな場所は東京駅近くのお堀の水場なんです。皇居のお堀の景色は大好きで、水面はいつも見てしまう。出張や旅先から東京駅に帰ってくる時にも、その水の輝きを見るとホッとします。私が東京出身というのもあると思いますが、いろいろな水の景色を見てきても、やっぱりここが私の特別な場所かな」

車に乗っていると、三宅坂をくだるときにお堀の水面がキラキラと輝くのを見る瞬間。子どもたちが小さかった頃には、北の丸公園にどんぐり拾いに訪れていた御池の美しさ。

「街の景色が変わり続けても、皇居や神社といった歴史的な場所は変わらない。ずっと昔からあって、この先も決して変わらない普遍的な場所。そうした場所にある水の景色をとても大切に感じます」 

動物が命をつなぐために水場へ集まるように、街のなかでも水は人を引き寄せ、憩いと癒しを生み出す。変わらず流れ続ける水は、街の景色をかたちづくり、人々の暮らしに潤いを与えている。

水の流れが心地よいと、
毎日の幸せが変わってくる

「インテリアや空間のお仕事では、私の場合、頼んでくださるのは女性が多いんです。きっかけになるのはキッチンやお風呂まわり。特にキッチンは動線の相談が多くて、水栓の器具について聞かれることもよくあります」

内山さんが空間を設計する際に大切にしているのは、あくまでそこに暮らす人、使う人が主役であること。日々を送る人が心地よく、その人が美しいと思える空間づくりをサポートすることを第一にしている。


空間づくりと同じく、暮らしに寄り添うプロダクトも手がける

「ただ、空間をつくるときに美しさだけにとらわれてはいけないんです。特に水まわりは、生活に欠かせないもの。断水になるだけで大騒ぎになりますよね。それくらい日々の暮らしに直結しているからこそ、使い勝手の良さを最優先に考えています。なかでもキッチンは、毎日必ず水を扱う場所だから、とても大切な場所」

水の流れの心地よさは、生活の質を左右する。

「蛇口から出る水が毎回跳ねたり、水の出が悪かったりするだけで、毎日のなかに小さなストレスが積み重なってしまう。ホテルでもそう。滞在中に水まわりの快適さがあるかどうかで、その旅の心地よさが変わります。せっかく気分転換ができる場所なのに、『なんでこのシャワーなんだろう』と思ってしまえば、心地よさが削られてしまう。日常生活に不可欠なものだからこそ、使いやすいことと心地よさ、それだけで幸せになれる気がします」


空間プロデュースを手がけた浴室のデザイン

水回りのなかでも、特にキッチンは「楽しいのが大事」という内山さん。「そこにいてワクワクする、アドレナリンがでるのがキッチンかな。そして、楽しいということもあるけれど、『よしっ、やるか』という場所がキッチン。お風呂に入るときや寝るときには、そうはならないですよね。でも、料理をするとき、コーヒーを淹れるとき、お皿を洗うとき『よしっ、やるか』となる。生活のなかでは特別な場所。しょうがなく『やるか』ということもあるかもしれないけれど、『とりあえずつくるか』という気持ちがないと入れない。だからこそ、とにかく使い勝手が良いということが一番だと感じます」

水と食と循環。
日々の幸せを続けていきたい

食をとおして届けたいのは“豊かさ”。それは高級な食材による贅沢さだけではない。お茶漬けを食べてホッとするのも、同じように豊かさだ。大切なのは、その時々で「幸せだな」と感じられるかどうか。訪れた人にも、美味しい以上に“幸せ”を感じてもらえたら嬉しいと言う。

「美味しいものは世の中にたくさんあるけれど、“幸せ”はそんなに多くはない気がします。だからといって『幸せになってもらおう』と思って料理しているわけではない。目標にすると作為が生まれてしまうから。ただ、自分が幸せだと思えていること、それを大切にし続けたいと思っています」

つくる人が幸せを感じられていたら、その想いは料理の味にもあらわれる。同じ食材、同じ調理方法でも、相手のことを思いながらつくるのか、それとも嫌いやつくるのかで味はまったく変わる。その違いを運ぶのは、もしかしたら食材に流れる水の存在なのかもしれない。

「お月様があって、お日様があって、そして、自然のなかで水が循環して、私たちはその恵みを受けて、食べ物を食べ、生きていく。なくなることのない循環のなかで私たちは暮らしています。同じものを飲んでいても、気分によって味わいが変わることもある。そうした日々の小さな移ろいのなかで、人は幸せを感じたり、感謝を覚えたりするのだと思います」

身近なスタッフが器や空間を大切にしている姿を見て、「この人と一緒にいられてよかった」と思えるのもまた幸せの循環だ。訪れた人とも、働く人とも、共に分かち合うことができる。幸せな状態は一瞬で得られるものではなく、「幸せだ」と感じ続けるためには、日々のなかで感謝を重ねていくことが欠かせないと、内山さんは幸せそうに微笑む。その積み重ねが、人を敬い、人もモノも慈しむ心へ、そして日々の幸せを感じ取る心へとつながっていく。

「健康であることはお水がないとできない。水は不思議な存在で、ただ見ているだけでもホッとするし、実際に取り込まなければ生きていけない。そしてその水を“美味しい”に変えるのは、私たちの仕事でもあると思うんです」

水は命を支えるだけでなく、水があることで食や空間が生まれ、その場に人が集まり、関わり合いが育まれる。私たちは、見えないところで水につながれて生きているとも言えるかもしれない。水に支えられ、次の幸せへとつながっていく。

【プロフィール】
内山ゆき 料理研究家・食空間プロデューサー
東京都生まれ。食と空間をプロデュースする「旬香舎」主宰。料理教室やケータリングのほか、個人邸や宿のリノベーション、インテリアオーガナイズも手がける。2022年にアトリエレストラン「iRo」を立ち上げ、調味料づくりや料理を通じて、人と人、人とモノをつなぐ場を育んでいる。「日・土・水・火・風」という自然の恵みを料理に重ね、それぞれの食材の命が持つ力を生かして、体と心を“ととのえるごはん”を届けることを大切にしている。
個性豊かなモノたちが自然と調和する、その卓越したモノ選びと組み合わせのセンスから、空間やインテリアのスタイリング、器や生活まわりのプロダクトデザインも手がけている。

Photo Hinano Kimoto
Texit/Edit Michiko Sato

SHARE