水の神を祀る貴船神社が、今、森を再生する
1000年の祈りを、次の100年につなぐ
“貴船の杜の再生活動”<後編>
古くから「都の水源地」として水の神様を祀る貴船神社へ続く道は、鞍馬山と貴船山に挟まれた谷底に伸び、夏には川床が並び、人と自然の織りなす涼やかな景色が広がる。
しかし、この川床もまた、自然の恵みと災害の狭間にある。水と共に生きることは、常に“恐れ”と“ありがたさ”の両方と向き合うこと。貴船神社は1600年近く、人と自然のつながりを結ぶ場所として見守ってきた。
前編では貴船神社 宮司・高井大輔さんに、水の神様を祀る神社としての歴史や意味、そして神道と自然とのつながりについて話を伺った。後編では、なぜ“貴船の杜の再生活動”が始まったのか、そして今、神社がどのように杜・山と向き合っているのか。その背景と思いを高井宮司に伺う。
水と共に生きる、貴船の人々
―京都の夏の風物詩の一つとして知られる川床ですが、時期的にはいつ頃からはじまるのでしょうか?
「昔は神社のお祭と関係していまして、貴船神社で最も重要な“例祭”が行われる6月1日を終えてから川床を始める、というのが町内のしきたりでした。
今では国の要請で、5月1日から始まるようになりましたが、町内では今も6月1日を守り続けられているお店もあります。もともと、水の恵みに感謝する例祭を終えてから、川床を開くというのが慣わしだったんですね。
それだけ、この町内は、水とは切っても切れない関係にあって、その恩恵に感謝するのと同時に、常に恐れを感じている。これだけの山あいでは、いつ何時、大きな土砂崩れが起きるかわからない。万が一にも、雨で水かさが増してくると、皆さんすぐに川床を片付ける。それだけ危機意識というものを強く持たれていると感じます」
貴船の川床は、大正時代に始まった。夏場は京都中心地からでも10度ほど気温差があると言われ、涼を求める人の姿で賑わう
そして、この町内を災害から守るためにあるのが、貴船と鞍馬の地域が共同で組織する消防団だという。京都の中心地から貴船までは車で1時間ほど。もし何か起きた時には、外部の支援を待っていては間に合わない。自分たちの手で、災害を最小限に食い止める。その意識の高さは京都市内でもトップレベルとして知られており、消防団の訓練大会では毎年上位に入るほどだという。
「実は、この貴船神社には氏子さんは22軒しかいません。そのうちの20軒が商いをされている氏子さんですが、災害指定区域のため、これ以上住民を増やすことのできない地域。いわゆる限界集落になります。そのなかで、力を合わせて自然と向き合い、この地の暮らしを守り続けています」
貴船の人々は、水の恵みを享受しながら、この地ならではの景観をつくり出してきた。水と共に生きることは、自然の“恵み”と“怖さ”の両方を知ること。川床のある風景には、水と共に生きてきた地域の歴史と、人々の営みが途絶えることなく流れ続けている。
毎日毎日、山を見上げて想うのは、
災害によって、山が荒れていくということ
今回、MIZUBAの取材では、「水と人との関わり」を伺いたいと思い、貴船神社にお願いしてまずは下見に伺った。本殿のすぐ横に「山を守るための活動に、ご協力をお願いいたします」と書かれた募金箱に目が止まった。
貴船神社が杜と山の再生活動を行っていることに、正直、少し驚いた。なぜ、神社が山の再生に取り組むのか。その理由と想いをぜひ伺ってみたいと思った。
―貴船の山の再生活動を行うようになった経緯を教えていただけますか?
「このような山あいの地にある神社は、山に対する危機感はほかの神社とは少し違うかもしれません。毎日毎日、山を見上げていて想うのは、これだけ近年の気候変動や台風の大型化によって、山がどんどん荒れていくということ。再生をはかろうとしても、また次の台風で被害が起こる。その繰り返しのなかで、2018年の台風21号では関西一円に大きな被害をもたらし、叡山電鉄は土砂崩れにより3年間運休となりました。その光景を間近で見て、いつこの貴船にも同じことが起こってもおかしくないという危機感がより強くなりました」
実際、その時の台風で貴船神社や町内も大きな被害を受けたという。
「奥宮と本宮の間にある中宮の本殿は倒木により全壊いたしまして、町内でも2軒が倒木により全壊しました。さらに、この地域は上水をポンプで汲み上げているため、停電すれば水も止まります。この時も、ライフラインが1週間ほど止まり、水が使えなくなるという状況に直面しました」
本殿のすぐ裏手の山にも倒木の様子は見られる
自然の恵みと共に生きてきた地域だからこそ、自然災害の怖さを誰よりも知っている。その経験が、“山の再生”という新たな活動を始める原動力となった。
大地を呼吸させ、
木々の根っこに元気を取り戻す
―実際にどのような活動をされるのでしょうか?
「貴船山は低山でありながら、とても急勾配の山です。人が入りづらく、重機を使った大規模な整備や、いわゆる植樹中心の再生活動は難しい。そこで、私たちは『今ある木をどれだけ元気にさせるか』という考え方で、再生活動を行なっています。
倒木を生かした森づくりで、少しずつ人が入っていけるような道をつくること。というのも、倒木を運び出すには、ヘリコプターが必要で、費用も非常にかかります。それならば、倒木を無理に取り除くのではなく、自然の力を借りて土に還し、新たな植物の芽を育む土壌として生かしていく。大地を呼吸させ、下草を生やし、どうしても必要な場所にだけ、この山に適した樹種を植えています。落葉樹など、多様な樹種を、木の根がしっかり張るような樹木ですね」
活動は、『大地の再生』という専門団体の協力を得て進められている。「大地を呼吸させることで、木々が蘇る」という考えのもと、地中の空気と水の流れを整える作業を行う。
倒れた木も、次の命を育む土壌となる。下草が芽吹き、大地が再び、呼吸し始める
「木の根は、地中深くに潜っていると思われがちですが、実は枝と同じように地表近くに広がっています。たとえば、この場所のように多くの人によって踏み固められた土は硬くなり、雨が降ると水たまりができますね。それは、水が地中に浸透できていないということ。
土が硬くなると、木の根は呼吸ができずに弱ってしまいます。木の根は、本来、水を蓄え、抑える力を持っています。しかし、その根が弱まると、その働きがきかなくなり、結果として木が弱くなり、大雨の際に土砂災害を引き起こす原因にもなってしまうのです。
“大地を呼吸させる”とは、地中に空気と水の通り道をつくり、ある程度穴を開けて、根が呼吸ができるようにすること。昔ながらの方法で、灰や落ち葉、枝を地中に入れて、空間をつくりながら、そこに微生物が生きやすい環境を整える。また、その微生物が働くことによって、土はふかふかになり、木の根が元気を取り戻し、樹木がよみがえっていく。そして、森が再生する。そういった地道な作業で、私たち自身の手で、できる範囲から取り組んでいる活動です」
こうした、山の荒廃を招いた理由のひとつには、林業の衰退もあげられるという。かつて、貴船の地も林業が盛んで、木を伐り、間伐することで森の環境が保たれていた。
「これは、どこの山でも言われていることですが、戦後復興期の住宅の需要が高まり、日本各地で杉が植えられました。本来であれば国産の木を使って循環させていくはずが、安価な外国産の木に世の中の目が向くようになり、林業が衰退してしまいました。人が山に入らなくなると、木々は密集して根が詰まり、光も風もとおらなくなった。結果、山が弱ってしまったんですね」
林業が衰退し、人の手が入らなくなった山は次第に荒れていく。だからこそ、貴船では、もう一度、人が「山に関わる」仕組みをつくることから始めている。
この先の100年を想う、
貴船の山の再生活動
―どのように活動をスタートされたのでしょうか?
「昨年より、神社と町内の方で『貴船の杜づくり協議会』を立ち上げました。ただ、先ほど申し上げたように、氏子は22軒しかありません。そのなかで、貴船神社の所有する山は、甲子園球場の4倍ほどの広さ。この人数では、人手も資金も限られており、とても自分たちだけで進められる状況ではありません。そこで、こうして境内で募金を行い、ボランティアを呼びかけながら活動を続けています」
作業は、ある程度の元手が集まった段階で、2ヶ月に1度ほどのペースで行っているという。参加人数は10~15名ほど。少人数で行わなければ、山のなかで目が行き届かなくなってしまうためだ。「ボランティアの皆様には参加費をいただいていますが、それでも『貴船の山を守りたい』と遠方から参加してくださる方もいて、本当にありがたく感じています」と、高井宮司は語る。
実際に活動することによって、体をとおして、自然の状態を感じ取ることができる。
「土がまるでコンクリートのように硬くなっている。これでは、水が入らないというのがよくわかるんです。でも、再生した場所が、1年、2年立つうちに木々が元気になっていく。参加者の方も、久しぶりに訪れられて木が元気になる様子を感じていただけ、またリピートで来ていただく方も多いです」
とはいえ、活動をするのにも、資金も必要だ。最初はその方法をどうするか、試行錯誤があったという。
「初めはクラウドファンディングも考えました。ただ、クラウドファンディングは目に見える成果を短期間で出す活動には向いていますが、この活動は1年や2年では終わりません。5年、10年で結果が出るかもわからない。この先、50年、100年先を見据えた取り組みです。だからこそ、募財を募りながら地道に活動を継続させていくことに意味があるだろうと考えました」
―それには、神主さん自らも山に入り、活動をするのですね。
「神主は祈ることが本職ですが、思うだけ、祈るだけではいけないと思っています。こういった活動を発信するとともに、神主自ら山に入ることに意味がある。皆で膝をつき合わすことで、いずれそれが大きな輪になっていけばと願っています」
そこには、1000年以上にわたり守り続けられてきた神社を、途切れさせることがないようにという切実な願いがある。
―この活動をとおして、どのような未来を描いていらっしゃるのでしょうか?
「1300年以上の貴船神社の歴史のなかで、今の時代はほんの一瞬、塵のように短い時かもしれません。それでも、その長い歴史を途切れないようにすることが、私たち神主の思いなんです。何年、何十年、何百年も先へ続くように。先人たちが残してくれたものに対する僕らの責任でもあり、そこには熱い想いがありますね。それは、都会の神社とは少し違う、この地ならではの使命だと感じています」
貴船には、この地特有の植物が多く見られるという。秋の頃に咲く「キブネギク」
「私の思う、究極の祈りというのは『祈ってください』と促されるものではなく、この場所に立った人が、自然と『ありがたい』と感じ、手を合わせたくなるようなものだと思うのです。ここに訪れた時に、心が洗われるような思いを感じていただくには、どうしたら良いか。それは、本殿の前でお祭りをしている姿も良いでしょうけれど、この貴船の山、神社の環境全体が綺麗になること。すなわち、昔貴船は『氣力生じる根源の地』、氣生根(きふね)と称された代があり、その名に相応しく、より一層近づき、自然と手が合わせられる。それが一番の願いです」
祈りの先には、目に見えないものへの感謝がある。その感謝が、山や森、水といった自然への恵み、私たちが生きるための資源の元へ、思いを向けさせてくれる。そして、私たちの手の先、使うその先にある未来へと、思いを馳せるきっかけになる。
「貴船神社は水の神様をお祀りしている神社で、この豊富な水資源を守るために貴船神社ではこうして活動を続けています。そのことを、後世の人も当たり前のように伝えられていれば、貴船神社の未来も明るいのでは」と、高井さんは朗らかに笑う。
「宗教学者の山折哲夫さんがとても面白いことを言われていて、宗教には、“信じる宗教”と“感じる宗教”の2通りがあると。まさに、神道は“感じる宗教”だとおっしゃいました。目には見えないけれど何かを感じて、そこに“神様”を感じる。人間が一番ということではなく、僕たちは自然に生かされているという思いを持つこと。今でこそ、SDGsという言葉で語られるようになりましたが、昔の人はすでに持っていたもの。自然と共に生きるということ、そういった原点に一人一人立ち返ることができたら、世の中も少しずつ良くなってくる。神社というのは、今も昔も、そうしたことを“感じる場所”としてあり続けられたらと思います」
インタビューの最後、高井宮司が「貴船神社のご神水でお茶を点ててくださる方がいるので、どうですか?」と声をかけてくださった。驚くほどまろやかで、やわらかい味わいのお抹茶が、喉を潤す。「子どもたちには本物のお茶を飲んでほしい」と言ってお茶を振る舞っている方の姿を見て、境内では、水に運ばれて、お茶の文化が伝えられていることを感じた。
「ここで淹れるお茶は格別な味になるんです」と、その方は嬉しそうに微笑んだ。
私たちが触れる水栓の、その先には山がある。そして、水を流す川、その先には海がある。私たちは自然の循環のなかに生きている。その山を、誰がきれいにしてくれているのだろう。それは、その地域で生きる人たちだけの責任なのだろうか。高井宮司のお話を伺いながら、ふとそんなことを思った。
今、私たちが手にしているこの水を、次の人たちへどうつないでいけるだろうか。

高井大輔 貴船神社宮司
大阪の建築設計事務所にて7年間勤務。時代の経済の波により、建物が壊されていく様子を見て、「この先の時代に残して「この先の時代に残していける建築を守りたい」という思いが芽生える。父が神職であったことをきっかけに、建築の延長線上に“神社という建築と祈りの場を守る”という仕事を見出し、神道の道へ。國學院大学で神職資格を取得後、各地の神社での奉職を経て、父の跡を継ぐかたちで貴船神社の宮司に就く。
Photo haruka kuwana
Texit/Edit Michiko Sato