神奈川県横浜市の集合住宅の一画に建築家・茂木哲さんが自らの家族のために設計した家がある。
集合住宅ながら広い庭を有するこの家は、茂木さんが「子育て期間の10年間」を過ごすことを念頭に設計されている。
家は一生に一度の買い物と言われてきたが、それはもう難しいと茂木さんは話す。
大きく変化し続ける今、茂木さんの考える新たな生活の場としての「家」について話を聞いた。

 
 
 

家具から住まいへ
異色の経歴

茂木邸に一歩踏み入れて驚くのは、リビングルームの一画を占めるあまりに開放な浴室、洗面所といった水回りである。
奇抜にも見えるが現在の茂木さんのご家族にとっても快適で機能的なデザインなのだという。


開放的な浴室スペース

なぜこのような住まいが生み出されたのか。
その前に、まず茂木さんのバックグランドを少し説明しておこう。
オーダー家具のデザイナーとしてキャリアをスタートし、建築へ進んだという変わった経歴を持っている。

建築の道へ進んだきっかけとしては、オーダー家具のデザインをしていると、その家具がいいか悪いかというよりは、その家具がどの空間にあるべきなのかっていうところがだんだんと気になってきて、次第と住まいを作ってその中に、自分が作った家具を収めたいという思いになりました。
それで建築を一から学ぶ決意をしました。


オーダー家具メーカーでの担当作品

家具と住まいの設計の違いついて茂木さんは、大きさや距離感が違うだけで基本的には作り方としてはそんなに大きくは変わらないという。
家具を作っていたときは手触りなど身体的な感覚も大切にしていたそうで、そこに俯瞰的な視点を取り入れて、家具よりおおきな住まいという器の設計をしているそう。


空間を間仕切らない心地いい空間、庭からの採光が部屋全体に届く

その話を聞いて改めて茂木邸の内部を見回してみると、細部まで行き届いたデザインとちゃんと家族が暮らしているという生活感が共存している。
この住まいは、子育ての時期に特化した住まいを作ろうということを目標に設計されており、仕切りのほとんどないリビングは実際の面積よりも広く感じつつも、互いの存在を常に感じられる。
幼いお子さんがいる夫婦にとっては適度な距離感もありつつ、どこにいても子どもを見守ることができる。


寝室も閉じられていないので、料理をしながらでも子どもに目を向けられる

夫婦ふたりと幼いお子さんという茂木さんの家庭のニーズにぴったりな住まいなのである。
 
 
 

住まいづくりは施主の要望シートから

茂木さんの設計は、施主さんに自ら要望を紙にまとめてもらうことからスタートする。

やっぱりせっかくご依頼いただいたからには、ご要望を全て叶えてあげたいというつもりで仕事をしています。
ご要望は人それぞれですが、最初にA4で3枚4枚に書いていただく。
そのすべてを叶えるつもりで設計をしています。

書式は自由で、文章の人も、パワーポイントでまとめてくる人、SNSで収集したイメージを持って来る人もいるそうだ。

その要望をカタチにしていくのが設計の仕事である。

戸建てであれば敷地、リノベーションであれば既存の建物の形がもっている特性がある。
たとえば、南側に開口がある、北側にはこういうものがあるなど。
その敷地や建物の特性とその施主の要望とを両方擦り合わせて、その場所でしかできない、その施主でしかできない空間を作り上げ満足してもらうことが設計という仕事に対する茂木さんの基本的な考え方である。

しかし場合によっては、施主の要望がかなわないこともある。
施主との信頼関係が最も重要と考える茂木さんは、なぜ叶わないのか理解し納得してもらうため、さまざまな設計のプロセスを施主に見せていくという。

たとえば配置について説明する時はゾーニング資料を提示することもある。

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ゾーニング資料

ゾーニングとは、空間を機能や用途別にそれぞれに必要な空間の大きさを設定し、敷地、建物の特性や相互の関連を考慮し、空間の中での位置を決めていく手法である。

施主にとっては大きな決断だからこそ、「やっぱりBプランがいい!」「もう一度考え直したい」といった後戻りが起こりがちだか、このように丁寧にAプラン決定に至ったプロセスを説明されれば、じつは要望の配置とは違うが、要望が求める目的には適っているというようなことがわかる。
施主の理解と設計者に対する信頼を高めることになりそうだ。

実際の使用者さんと全体をみている建築家、設計者では当然、観点が違います。
施主さんの言うことだけを聞けば、いい空間になるわけではないですし、建築家が作りたい思い描いた空間を作れば使いやすいか、住みやすいかというとそうでもないので、そのお客様のご要望をどう形にするのか、それに対して納得していただく。
説得をするのではなくて納得して使っていただくことが信頼関係を築くうえで大事かなと思います。
そのためのコミュニケーションです。
コンセプトを図面や言葉として表して納得していく、その過程が大切なのです。

今回の茂木邸の場合は、奥様に納得いただくためにさまざまな資料を用いたとか。

設計の仕事で最も重要なのは施主との信頼関係を作ることだという茂木さん。
住まいづくりとなると、お金についてや普段の暮らし方など親しい友人にも見せないような極めてプライベートなところに建築家は入り込んで行かなければいけない。
そこで関係性がうまくいっていないとコミュニケーションにも支障をきたす。
設計側としては本当はこうした方が空間的に良くなると分かっていても、やはりここは施主の言うこと聞いとこうかと、変な妥協が入ってきてしまうので、何でも言い合えるフラットな関係、信頼を築くことが大事だという。

最初に施主が作成する要望シートは、実用的な面だけでなく、施主と設計者の距離を近づけるツールになっているのかもしれない。
 
 
 

ライフステージに合った住まいを

茂木邸は、先述した通り、子育ての時期に特化した住まいを作ろうということを目標に設計されている。
広い庭も浴室もワーキングスペースもすべて豊かでリラックスした時を家族で過ごすためのリビングルームの一画という開放感あふれる住まいが出来上がった。

庭までを含めた100㎡のすべてを1つのリビングとして住まう

住まいは「一生に一度の買い物」と言われ、人生の全てを包括するようなプランで考えなければいけないというのが前提で設計をされている場合がほとんどです。
そうするとどうしても子供部屋や夫婦の寝室、クローゼットなど閉じられた空間が必要になってしまいます。
しかし子供が思春期を迎えるまでというのは家族がより近い距離で過ごせる唯一の時期なので、家族の思い出がより強く作れるような空間がいいんじゃないかなと思いその十年間に特化した空間として開放的にしました。


「子育て期間の10年間」に特化した開放的なプラン

人生で多分3回ぐらい住まいを変えたくなる時期があると思っているんです。
まずは①結婚し子供が生まれるとき、そして②子育てが多少落ち着いて子どもたちが独立しかけたとき、あとは③最後の老後の住まいですね、その3回です。
今後の社会としては、ライフステージに応じて住み替えていくように変わっていくと思っています。

社会の変化にともない、家の果たす役割にも変わっていくのだろうか。

実際、夫婦と子供2人、有業者が世帯主1人だけの世帯といういわゆる「標準世帯」は日本の総世帯数の5%にも満たず、もはや標準でなくなった。
2000年代入って共働きの世帯が増加し共働き世帯が、夫が勤め人・妻が専業主婦世帯を逆転している。

つまり、家族が家で過ごす時間は昭和の時代と比較すると驚くほど短くなっているということだ。
このような状況に対し茂木さんの考えは明快だ。

子供を保育園に預けて両親ともに夜に帰ってきて、夜7時から夜寝るまでの時間と休日家族で過ごす場所というのが住まいというものになっている。
そのため今までは日常の使い勝手とか導線とかが気になっていたところから、非日常の中での旅行に出かけて旅館やホテルに泊まっているかのような気分で自宅で過ごせるということが住まいづくりにはとても大切になってきてるのかなと思っているのです。


「旅館」のような印象の和室スペース

しかし、想定していない事態が起こるのが人生。
現在のコロナ禍もそのひとつと言えるだろう。

コロナウィルス流行で、在宅勤務が新しい働き方のひとつとして定着しつつある。
茂木邸はコロナウィルス流行前に完成している住まいなので、その影響が反映されていることはないが、リビングの一画にはワークスペースがあり、快適な空間で仕事ができるようになっている。
本来は平日、奥様が出社し、お子さんが保育園に行っている昼間の時間に集中して仕事をするという使い方を想定して置かれたスペースである。
コロナ流行とは別に、自宅で仕事をするという選択肢がある社会に変化していることが感じられる。
 
 
 

これからの自宅ワークスペースとは?

住宅内に設置されるワークスペースの要件などについては、いろいろアイデアがあるようだ。

書斎、ワークスペースは、家族の気配を感じながらも仕切られた空間があれば集中できます。
例えば仕切りは天井までしっかり取り付けるのではなく、いわゆる欄間の部分の空間を開けて、一部抜けてるけど壁は仕切られてるとか、声を出せばコミュニケーションをとれるとか、集中しながらも気配を感じることができるワークスペースがいいかなとは思いますね。
オフィスにある個別のブースみたいな感じの空間があると自宅でもありかなと思います。”


家族の気配が感じられるワークスペース、寝室との仕切りを引き出すことで集中できる空間にもなる

今後は自宅にワークスペースを持つことがスタンダードになるかもしれない。
従来の書斎のイメージとはまた違う、新しい家族像や住まい像にマッチしたコンセプトはきっと茂木さんのような若々しい感性をもった建築家が生み出していくのではないだろうか。


nagom arcitects & photo 茂木哲
住所:神奈川県横浜市港北区
TEL:070-4022-0512
メール:info@nagom.design

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